氏永 真司
- 出身
- 島根県
- 資格
- 柔道整復師、鍼灸師
- 趣味
- 野球
氏永先生は、どんな子供だったんですか?
子供の頃は運動をする事が大好きで、野球、剣道、水泳、バスケットボールなどなど・・・ほとんどのスポーツ少年団に参加させてもらっていました。
この時は、プロ野球選手になりたいと本気で思っていましたね。
高校時代まで野球に没頭していました。2年秋に県ベスト4 中国大会出場までいきました。3年夏は甲子園を本気で狙っていましたが、準々決勝敗退(泣)
本当に悔しくてとても残念でしたが、次の目標に向けて歩き出す事ができました。
なぜ?整体師になろうと思ったんですか?
それはプロがダメなら、プレーする側からサポートする側へ変わろうと考えていたからです。
高校卒業までは激しい練習の繰り返しにより、肩や肘、膝などを痛めながらプレーしていました。
良くある話ですが、その先生にお世話になり野球を続けれることが出来たので、私も同じような先生になりたいと思ったのがきっかけです。
その先生の所には、野球卒業後も通わせていただきながら整骨院の業界のことを教えていただいていました。
柔道整復師と鍼灸師の学校に行かれたんですよね?修業時代はどのような感じだったんですか?
高校卒業後、島根県から大阪に出てきました。
専門学校入学当初から整骨院で修業を開始しました。その整骨院は1日に80人以上の患者さんが来られていて、院長先生の施術助手として毎日たくさんの方の施術を経験させていただきました。
初めての一人暮らしに、修業、国家試験の勉強・・・毎日が一瞬で終わり、忙しすぎてあまり記憶に残っていないくらいです。
その整骨院では捻挫や骨折後のリハビリの方が多く、マッサージや関節調整を教えていただきました。
まずは、先生のようにマッサージが上手くなり技術力を上げて、責任を持って一人で治せるようになろうと思いました。
毎日があっという間に過ぎ去り、国家試験も無事合格しました。
病院の経営する整骨院2店舗で院長をされていたんですか?
国家試験に合格後、整形外科の先生が経営する整骨院の院長として働きました。
そこでは、整形外科の先生の指示のもと電気やマッサージ、けん引を行い、骨盤矯正や背骨の矯正もさせていただいていました。
高校の時にお世話になっていた先生のように、「改善できる整体師」を目指していたのに、気がつけば気持ち良いマッサージができる慰安目的のマッサージ屋になってしまいました。
整形外科付属の整骨院で働けば、臨床経験が高くなり改善できる整体師になれると思っていましたが、2店舗とも求められていたのは気持ち良いマッサージだけで、先生から治し方を教えてもらうことなどは一切ありませんでした。
きっかけは、3つ目に勤めた整骨院でした。2店舗で院長経験がありましたが、このままではダメだと思って、再度転職を行い技術だけを磨ける環境に1から身をとうじました。
そこでは、技術だけを追い求めて代表の先生が様々な整体を勉強されていました。10年ほど、2店舗で働いていて、技術、知識はそれなりにあると思っていましたが、一瞬で勉強不足を痛感しました。
しかし、その整骨院で学んだ知識と手技により私が目指していた整体師への道が開きました。
そして、今回福島区で開業するに至りました。
私が15年かけて駆け出しの頃に決めていた理想の先生に少しずつ近づいてきました。
これからも、根本的に健康になるための整体を提供できるように勉強を続け、皆様に質の高い施術を提供していきたいと思います。